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12月19日 天正伊賀の乱

天正6年(1578)伊勢の国司北畠信雄(織田信長の二男 織田信雄が北畠の養子になり家督を継承)は丸山城を基点に伊賀攻略を企てますが、伊賀衆の攻撃にあって撤退します。天正7年(1579)仕切りなおして北畠信雄が伊賀に攻め込みますが、伊賀衆の抵抗にあって敗退します。(第一次天正伊賀の乱)これを聞いた織田信長は激怒し、自ら出馬を決意し、天正9年(1581)5万の大軍を率いて伊賀に進軍、伊賀全土を焼き払い大人子どもに関わらず殺戮を繰り返しました。伊賀衆は最後まで抵抗を続けましたが、和議が成立し、降伏しました。伊賀地域が歴史上唯一壊滅的な打撃を受けた乱で、800年の歴史を持つ伊賀地域の荘園制度が終焉し、忍者は諸国に離散しました。(第二次天正伊賀の乱)

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