煙の末 1
煙の末
陰に生きる宿命
伊賀忍者は煙のごとく歴史の闇に消えていった
平安末期の武将・平知盛に仕えた伊賀家長は、伊賀の人である。本来は服部姓だった。家長は武勇の誉れ高い武将だが、一方で「煙りの末」といわれ、伊賀流忍術の始祖とした伝書もある。しかし、有名な服部半蔵同様、家長は武将であって忍者ではない。そのかわり彼らの配下には多数の
伊賀忍者がいたのである。忍者は陰に生きるのが宿命。名が後世に残ることはまれだ。この無名の忍者たちの活躍が主(あるじ)である武将の功績となって伝わっていった。「煙りの末」と呼ばれたのは、そうした陰働きをした伊賀忍者たちにほかならない。
煙は、目くらましの効果がある。そして、煙そのものは消えてしまう。煙とともにドロンと消える忍者の姿は現代の時代劇でもよく見られる。煙はどんなすき間でも入り込める。どんな所へも忍び込める忍者の能力を示している。煙はつかみどころのない、実体の無いものだ。まさに正体を見せずに隠密行動をする忍者の姿そのものだ。その忍術が必要とされなくなってからすでにながい年月が経っている。無論、現代では昔のような忍者が活躍する場所はない。「煙りの末」の名のままに消え去ろうとしている。
伊賀流忍術は、先人たちが生きるため編み出したさまざまな知恵の集大成であり、伊賀の"文化遺産"といえる。ただ、伝書においても口伝が多く、その秘密性ゆえ、「煙」のベールに包まれてきた。この遺産を二十一世紀に伝えるため、そのベールを一つずつはぎ取り、分かりやすく紹介していきたい。
この連載を通して、我々の目を覆っていた「煙」が消えて伊賀忍術の実体が明らかになったとき、読者の中にも新たな「煙りの末」が誕生していることを願っている。